代表弁護士

稲葉 治久いなば はるひさ

東京弁護士会所属 

代表弁護士

稲葉 治久いなば はるひさ

東京弁護士会所属 

稲葉セントラル法律事務所の代表弁護士/稲葉治久(いなば はるひさ)です。 大好きな街、大田区蒲田で稲葉セントラル法律事務所を開業しています。

運動することが大好きだった小・中・高校時代

私は茨城県の人口8千人程度の小さな村で生まれ育ちました。

とにかく体を動かすことが大好きで、ずっと運動ばかりしていた子供時代。
小学校・中学校は野球に没頭し、高校ではアメフト部に入り、3年生のときには関東大会で準優勝するほどに熱中していました。
勉強は決して好きではなかったのですが、自分の中で目標が定まったときの集中力はあるほうだと思います。

大学受験の際には、集中的に勉強をはじめて偏差値30代から70代に一気に上げました。

父と叔父から受けた大きな影響

私の人生観・仕事観に大きな影響を与えた人物が2人います。
父と叔父です。

父は、明治時代から続く米屋に生まれ、先代から経営を継いでいました。
そんな父は、長男の私に対して、米屋を継いでほしいというようなことは一切言ってきませんでした。その代わり、「人の役に立つ仕事をしなさい」ということを一貫して伝えられました。

型にはめられることもなく自由に育てられたのですが、
「人の役に立つ」
この考え方は父からの明確なメッセージとして私の根本を形作ったといえます。

叔父は、海外で仕事をしている人でした。
年に1~2回日本に帰国するのですが、その際に海外の話をたくさん聞かせてくれました。
その影響で、私は海外に対する興味を強く持つことになります。

当初は国際機関で働くことを志していた

私が弁護士になろうという思いを抱いたのは実はかなり遅いです。中学生のときには、ジャーナリストになりたいと思っていました。

高校生から大学生までは、国連などの国際機関で働きたいと思っていました。
つまり、大学を卒業してから弁護士を志すに至るのですが、そのきっかけは後ほど述べたいと思います。

大学は、慶応大学に入学。
上述したとおり、高校生時代は、将来は国連などの国際機関で働きたいと思っていたので法学部の政治学科を選択しました。
大学を卒業後は、米国に2年間留学。

その後、青年海外協力隊としてアフリカのジンバブエ共和国に2年間派遣されました。これが私にとっての大きな転機となります。

弁護士は人の役に立てる仕事である

青年海外協力隊員として派遣されたのは、アフリカのジンバブエ共和国という国でした。
ジンバブエはアフリカ大陸の南部に位置する内陸国で、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ、南アフリカ共和国などに隣接しています。
日本のような安心・安全の先進国とは異なり、人生観を揺るがすような出来事に多く遭遇しました。

ジンバブエは政情不安だったので、反体制派とみなされた人は容赦なく身柄を拘束されていました。その中には、当時、私の仕事のパートナーだった人も。特に選挙期間中などは、身柄を拘束され、鉄格子付きの小屋のようなところに何百人も閉じ込められているのです。
そんなときに私ができることといえば、ほとんどありません。せいぜい、タバコを差し入れしてあげるくらいなものでした。

この経験から、弁護士という仕事(資格)に強く興味を持つようになりました。
もし自分が弁護士だったら、保釈手続きなどを進められるかもしれませんし、それ以外にも何か効果的な手を具体的に打てるかもしれません。
父の教えである「人の役に立つ」を実行することができるのが弁護士という仕事なのではないかと強く感じたのです。

マイノリティ(少数派)であること、差別されること

また、あるとき、交通事故に巻き込まれたことがありました。私は自転車に乗っていたのですが、トラック事故に巻き込まれたのです。こちらは完全に被害者です。
しかし現地ジンバブエの警察官は、お前は日本人だろ・金持ってるだろ、というような感じで全く相手にしてくれません。

ジンバブエにおいては、日本人はマイノリティ(少数派)であり、嘲笑されることもあればその存在を軽視、無視されることも多くありました。たとえマイノリティであったとしても、一人の人間として守られる権利は絶対にあるはずなのですが、多数派ではないというだけで無視されてしまうのです。

これらの経験は、悔しいものであり、生活をする上での不便を招くものでもありましたが、弁護士として活動する今となってはとても貴重な経験となっています。
目の前にいる相談者とフラットに、先入観にとらわれずに向き合い、守られるべき権利を守るということの大切さを、実体験とともに理解できたのですから。

弁護士への道

ジンバブエでの2年の任期を終え帰国したあとは、JICA(ジャイカ;国際協力機構)に嘱託職員として勤めながら、ロースクール(法科大学院)への入学準備をしました。
このとき既に30歳も間近になっていたので、まわりの反応の中には冷ややかなものもありました。

しかし、生来、目標さえしっかり定まればまっしぐらになれる性分だったので、このときはそれが幸いしました。
また、アフリカなどでの経験を通して、良い意味で感覚が鈍くなっていたのも良い方向に作用しました。
人に何か言われても気にしない、必要に応じて鈍感になれるなど、精神面は20代の時点でだいぶ鍛えられていたかなと思います。

司法試験合格、弁護士人生のスタート

司法試験は3回目の受験で合格、35歳のときでした。
1年間の司法修習を経て、大手の弁護士法人にて弁護士人生がスタートしました。

最初に勤めた弁護士法人では、入所半年もしないうちに長野県松本市で新規開設した支店の支店長を任されました。支店長といっても、いるのは自分一人、部下の弁護士もおらず事務職員もゼロです。
しかし、ここでの経験がとても大きな財産となります。

ありとあらゆる事件を自分一人でこなさないといけません。
通常は事務職員にやってもらうような事務手続き、例えば関係各所への書類の郵送手続きなどもすべて自分でこなしていました。
相談件数でいうと年間600~700件、実際に依頼された案件数でいうと年間100~200件はこなしていたと思います。
ここでの経験は、独立に向けての大きな自信となったことは間違いありません。

大好きな街 大田区蒲田で独立開業

2016年6月、大田区蒲田で独立開業をしました。
大田区蒲田で開業したのは、この街がとても好きだからです。
大田区には15年近く住んでいます。大田区は、自然もあり、落ち着きもあり、美味しい飲食店もたくさんあります。車移動の便も良く、JR・私鉄も充実しています。

もしかすると、弁護士事務所というと千代田区、港区、中央区あたりで法人顧客を相手にしているイメージがあるかもしれません。

しかし、私は自分が好きなこの大田区で、個人・法人の区別なく、顧客としっかりとかかわりあいながら仕事をするのが楽しいと感じる性分です。
相談者それぞれの個性を認めながら、「困っている人を助ける」、「人の役に立つ」、が変わらぬ基本姿勢です。

弁護士の敷居は決して高くない

弁護士はサービス業です。

よく「弁護士に相談するのは敷居が高い」というようなことを言われるのですが、決してそんなことはありません。

もし何かに困っているのであれば、まずは気軽に相談に来てほしいのです。
実際に弁護士に話をしてみてほしいです。
そのちょっとした一歩が、お困りごとを解決するきっかけになるかもしれません。

お茶を飲みながら弁護士と雑談する、そんな感覚で全然OKです。

稲葉セントラル法律事務所が大切にしていること

弊所が大切にしているのは、以下の3点です。

  • フットワークを軽くすること
  • 現場に行くことを厭わないこと
  • お客様とのコミュニケーションを大切にすること

稲葉セントラル法律事務所は、大田区の法人・個人の皆様のかかりつけ医のような存在となることを目指しています。法律面はもちろんのこと、関連する問題をワンストップで解決します。

そのために我々は、あらゆる士業の方々と連携をし、サービスを提供できる体制を整えております。

経歴・プロフィール

出身地

  • 1976年 茨城県生まれ

学歴(略歴)

  • 江戸川学園取手高校卒業
  • 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
  • 青年海外協力隊員としてアフリカ・ジンバブエでボランティア活動
  • 関東学院大学法科大学院卒業
  • 平成24年 弁護士登録
  • 平成28年7月より稲葉セントラル法律事務所を開設

取扱分野

当所では、大田区の方々を中心にご利用いただいており、幅広いニーズに対応しております。

個人のお客様 ・一般民事
交通事故
相続
離婚
・各種損害賠償
・成年後見
債務整理
・不動産取引
・学校問題
民事信託
・建築紛争
・刑事
・その他
法人のお客様 企業法務

 

活動実績

メディア出演

  • テレビ信州 『ゆうがたGET!』 レギュラーコーナー出演
  • 長野朝日放送 『ザ・駅前テレビ』 レギュラーコーナー出演
  • 東海ラジオ 『聞いてみや~ち』 出演

執筆

法律監修

  • フジテレビ ドラマ 『昼顔~平日午後3時の恋人たち』
  • テレビ朝日 倉本聰脚本 ドラマ 『安らぎの刻〜道〜』
  • テレビ東京 ドラマ 『水曜ミステリー9 共犯』
  • その他多数

当事務所の所属弁護士

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