在籍していた講師が独立・生徒の引き抜き行為をした場合について弁護士が解説
1.はじめに
近時、親の教育熱心さは強く、塾への投資が盛んです。大学受験のみならず、中学・高校受験のために子どもを塾に通わせる親が増えてきました。
学習塾の経営は、今や一つの大きなビジネスとして、世の中に浸透しています。都内の塾や予備校の競争は激しいですが、中でも自由が丘駅周辺は学習塾の数が特に多く、100か所以上も塾や予備校があります。
学習塾において多く見られる法律問題として、在籍していた講師の独立・生徒の引き抜き行為があります。
学習塾の開校は、資格などが不要であり、開業のための資金も少ないことから、参入障壁が低いという特徴があります。そのため、講師が在籍していた塾を辞め、自分で学習塾を開くケースが多くみられます。
本記事では、塾講師が類似の指導方法を行う学習塾を開講した場合や、学習塾の開校に伴い生徒が引き抜かれた場合、これらの行為は違法なのか、退職した元講師に対して何らかの対抗措置を講じることは可能か否かについて解説します。
2.塾講師の独立は競業避止義務違反になる?
(1) 競業避止義務とは?
競業避止義務とは、競業避止義務とは、従業員が競合他社に雇用されたり、あるいは自分で独立して会社と競合する業務を行ったりして、会社の利益を不当に侵害してはならない義務をいいます。
競業避止義務については、入社時の誓約や就業規則に含まれる競業禁止特約によって定めるのが一般的です。しかし、雇用契約書に記載がなくても、会社と雇用契約(労働契約)を締結して働いている間は労働契約に付随する誠実義務(労働契約法3条4項)の一つとして、競業避止義務を負うとされています。
(2) 在籍中の講師が、新たな塾の開校や、独立の準備をしている場合は?
雇用契約書に競業禁止特約がある場合でも、ない場合でも、従業員は競業避止義務を負うため、在籍中の講師が、自分で新たに学習塾を開校した場合には、競業避止義務違反となります。
もっとも、退職後に開業を予定して、その準備(開業準備行為)を行っていた場合、競業義務違反になるか問題となります。
判例によれば、開業準備行為も、その手段・方法が、顧客に対して新たに設立する会社への発注など、使用者の利益を大きく損なう可能性がある場合には、競業避止義務違反として懲戒処分があり得る(東京地判平15年5月6日、Westlaw Japan文献番号;2003WLJPCA05066002)としています。
しかし、競業避止義務に関する規定のない場合には、会社の営業を担当する従業員が、在職中、会社と同目的の事業を行う別会社の発起人となったことだけでは、競業避止義務違反に基づく懲戒解雇は無効とされています(大阪地判昭55年9月26日)。
(3) 退職後に新たな塾を開校した場合、競業避止義務違反になる?
会社を退職した後は、労働者は競業避止義務を負わないのが原則ですが、就業規則などに退職後も競業避止義務を負う旨の規定がある場合、例外的に競業避止義務を負う可能性があります。
しかし、労働者に退職後の競業避止義務を課すことは、労働者の職業選択の自由(憲法22条1項)という憲法で保護される権利を制限することになります。そのため、退職者の職業選択の自由に対する制限が大きすぎる場合には、公序良俗に反するとして無効となる場合があります。
① 有効性の判断基準
判例では、「退職後の競業避止義務は、使用者と労働者との間に、労働者の退職後の競業についてこれを避止すべき義務を定める合意があったとしても、使用者の正当な利益の保護を目的とすること、労働者の退職前の地位、競業が禁止される業務、期間、地域の範囲、使用者による代償措置の有無等の諸事情を考慮し、その合意が合理性を欠き、労働者の職業選択の自由を不当に害するものであると判断される場合には、公序良俗に反するものとして無効になる」(アメリカン・ライフ・インシュアランス・カンパニー事件 東京地裁平成24年1月13日判決、Westlaw Japan文献番号;2012WLJPCA01138001)としており、事案に応じて退職後の競業避止義務に関する規定の有効性を判断しています。
② 退職後の競業避止義務に関する規定を有効とした判例(大阪地裁平成27年 3月12日判決、Westlaw Japan文献番号;2015WLJPCA03129001)
・事案の概要(競業避止義務部分のみ抜粋)
大手学習塾の教室長が、競業避止義務を定めた就業規則に違反して退職後に前職の塾のすぐ近くで独立して学習塾の営業を始めたことについて、学習塾(原告)が、元教室長の被告に対し、原告と被告間の雇用契約上の競業避止義務等に基づき本件学習塾の営業の差止め等及び損害賠償を求めた事案です。
この学習塾では、講師が担当していた教室から半径2キロ以内において退職後2年間の期間、学習塾の開業を禁止する競業避止義務を定めていました。
・裁判所の判断
まず、本件規定が職業選択の自由(憲法22条1項)に反しない合理的なものかどうかについて、「学習塾業界においては,何よりも収益の柱は、塾生の確保である。そして…現に担当する講師との間に信頼関係が生じている場合には,その講師が近傍で独立しようとする場合には、これに追従することは容易に想定される。
他方、上記信頼関係は、当該講師が純粋に個人的に構築したものではなく、企業たる学習塾と塾生との関係を踏まえて成立するものであり、当該学習塾が投下した資本の上に成り立つものである。」として、退職後の競業避止義務を定めた本件規定は、憲法22条1項に反さず、合理性が認められるとしています。
次に、本件規定の制限が合理的な範囲かどうかについては、「本件規定においては,退職後、2年間に限り、会社で指導を担当していた教室…から半径2キロメートル以内(小中学生にとって通塾に適さない程度の距離)の限度で、自塾を開設することのみを禁ずるものであって、上記圏外で開業することはもちろん、上記圏内であっても、競合他社において勤務することは禁じられていないこと、従業員の講師業務としての経験をいかして継続して講師業務を行うことは本件規定に所定の地理的、時間的範囲及び態様以外ではなんら制約されないことからすると…特段の代償措置が講じられていなかったとしても」本件規定が合理性を欠いて無効であるということはできないとしています。
③ 退職後の競業避止義務に関する規定を無効とした判例(アメリカン・ライフ・インシュアランス・カンパニー事件)
・事案の概要
被告(保険会社)を退職して競合他社に転職した原告が、退職後2年間、地域を問わず、競業他社への就職を禁じるという競業避止条項に反したとして、被告から、不支給条項に基づいて退職金の支払を拒否されたため、本件不支給条項は公序良俗に反するとして、退職金支払合意に基づく退職金等の支払を求めた事案です。
・裁判所の判断
裁判所は、「原告は、本件退職金支払合意当時、本部長及び執行役員のいずれの立場においても被告の労働者であったといえるところ、原告の退職前の地位は相当高度であったが、原告は長期にわたる機密性を要するほどの情報に触れる立場にあったとはいえず、また、本件競業避止条項を定めた被告の目的は正当な利益を保護するものでなく、競業が禁止される業務の範囲、期間、地域は広きに失し、代償措置も十分でなく、その他の事情を考慮しても本件競業避止条項は合理性を欠き、労働者の職業選択の自由を不当に害するもので公序良俗に反し無効であり、これを前提とする本件不支給条項も無効である」として、請求を一部認容しました。
本件では、保険商品は新しい商品が次々と発売されることから、転職禁止期間を2年とするのは、原告が保険会社で働く中で得た経験を生かせなくなってしまうことや、原告が、経営上に影響が出るような重要事項について、高度に機密性のある情報に触れる立場になかったことから、転職による競合会社に機密情報が洩れるおそれがなかったことが重視されています。
④ 競業避止義務違反に対する対処法
就業規則等で退職後に競業避止義務を負うことについて合意をしており、かつ、退職後に負う競業避止義務の内容が職業選択の自由を大きく制約するものでない場合は、当該規定は有効です。そのため、当該規定に違反したという雇用契約上の債務不履行があるといえ、損害賠償請求(民法415条1項)をすることができます。また、雇用契約上の債務の履行として、学習塾の営業の差止めも請求することが可能です。
3.生徒の引き抜き行為
学習塾において、講師と生徒の間の信頼関係は非常に重要です。講師と生徒の間に信頼関係がある場合、その講師が在籍している塾を辞めるとなれば、生徒は、同じ講師に引き続き指導して欲しいと考えるでしょう。そのため、このような信頼関係を利用し、元講師が、生徒に対して、在籍している塾を辞めて元講師が開設する塾に入るように誘導する場合があります。
講師と生徒の間の信頼関係は重要ですが、信頼関係は当該講師が純粋に個人的に構築したものではなく、企業である学習塾と塾生との関係を踏まえて成立するもので、学習塾が投下した資本の上に成り立つものです。
そのため、このような生徒の引き抜き行為があった場合は、退塾していなかった場合に支払われていたはずの授業料などを、損害として請求することができます。
上記の大阪地裁平成27年 3月12日判決では、原告(大手学習塾)に通っていた生徒の66人が退塾し、このうち次の表の61人が被告(元講師)の学習塾に入塾しました。裁判所は、「被告P1が、C1教室の責任者の地位にあったこと、原告に在職中及び退職直後から、C1教室の塾生に対する勧誘活動又はそれに類する活動をしていたこと、仮処分の前後を通じ本件学習塾への実質的関与を継続し塾生の復帰を妨げていることなどの本件学習塾の開設に至る経緯等のほか、現時点においても、C1教室の塾生数は33人と,約3分の1程度までしか回復していないこと(P5証人)が認められる。これらの事情を総合考慮すると,本件においては,退塾者に関する年度末(平成26年2月)までの特別授業を含む授業料相当額及び退塾者の進級後の数に退塾率を乗じた人数についての新年度の夏期講習より前の分(平成26年3月から7月まで分)の特別授業を含む授業料相当額について,被告らの行為と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。」として、授業料等合計1417万5922円から経費3割を控除した992万3145円の損害を認めました。
4.元従業員による学習塾の開設や、生徒の引き抜きを防ぐためには?
元従業員による学習塾の開設や、生徒の引き抜きの予防や、これらの行為があった場合に元従業員に対して損害賠償請求を行うためには、「退職後に競業避止義務を負う」ことについて、塾と従業員との間で合意している必要があります。
退職後の競業避止義務については、就業規則で定めるか、個別に従業員ごとに競業避止義務についての誓約書を提出させる方法があります。
しかし、これまで競業避止義務を就業規則で定めていなかったのに、新たに就業規則で競業避止義務を定めることは、「就業規則の不利益変更」に該当することに注意が必要です。そして、就業規則により従業員の労働条件を従業員に不利益に変更することは原則として許されません(労働契約法第9条)。
使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない。ただし、次条の場合は、この限りでない。(参考:労働契約法第9条)
そのため、就業規則で退職後の競業避止義務・競業禁止を定めても、この労働契約法第9条に違反するという指摘をされて、無効と判断されてしまうリスクがあります。
一方、誓約書で競業避止義務を定めれば「不利益変更」の問題はおきません。競業避止義務の条項は、従業員の地位や仕事の内容に応じて個別に設定することが必要です。
例えば、社員とアルバイトでは、業務内容や、業務上知りえる機密情報等に差があります。そのため、就業規則で一律に全社員に同じ競業避止義務を設定する方法では裁判所で無効と判断されるリスクが高くなってしまいますが、誓約書で競業避止義務を定めれば従業員ごとに個別の内容を誓約書に入れることができます。
5.最後に
上記で述べた通り、塾の開設にあたって免許等は不要であり、塾は参入障壁が低いです。
また、学習塾はその地域の小中学校に通う生徒を対象としているため、元従業員に、すぐ近くに塾を開設されると、被害が甚大になりかねません。
そのため、このような被害を防ぐためにも、あらかじめ、就業規則や誓約書などで退職後の競業避止義務を定めておくことをおすすめします。
競業避止義務に関する規定は、従業員の立場や仕事の内容によって、内容は異なります。そのため、1つの会社であっても、全員に同じ誓約書を提出してもらうのではなく、その従業員の立場や仕事の内容にあわせていくつかのパターンを作らなければならない場合もあります。また、単に競業避止義務を定めるだけでなく、違反があった場合の賠償額として適切な額の違約金を設定しておくことも非常に重要です。
弁護士にご相談いただければ、事案に応じて、適切な就業規則や誓約書を作成します。実際に退職者による競業避止義務違反が発生した場合の対応についてのご相談をお受けします。ご相談の内容を踏まえ、弁護士が代理人として、退職者に対して損害賠償の請求や競業の停止要求などの適切な対応を行います。
学習塾の経営でお困りの場合は、是非弁護士にご相談ください。